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育児記録2009年6月版  

ちび(2ヶ月)の細かめな成長記録。

最終更新:06/29

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「ぢごぷり」はリアルじゃない 

 Amazonで頼んですぐに品切れになってしまい、なかなかこなかった一品が本日やっと到着。「ぢごぷり」の1巻。「育児描写がリアル」みたいなレビューを読んでいたので楽しみにしていたんだけど、期待はずれだった。

 リアル、なのかあ?これが?

 1巻目だから、今連載されてるのがどうなってるのか知らんけど、大変なところをクローズアップしすぎ。こんな状態の母なんて一人もいないとまでいう気はないけど…(だから育児ノイローゼとかあるんだろうし) 自分の体験からいうと、一番ひどいときはなんも考えられなかっただけでした。ちびがどーとか頭に浮かぶ余裕すらなかった。ひたすら眠い眠い眠い眠い眠い眠い寝ていいですかだめですねなんで起きてるんだっけでも多分まだ寝たらだめ眠い眠い眠い眠いで占められてた。わりと平穏時でも、たまにいろいろ思考がぐらつくこともあったけど、「だとしてもこの子は生きていけるから大丈夫」というのが堰となって、わりと普通の思考状態を保ってた、と、思う。親バカホルモンは素直に出てたから、そういう意味で現在進行形で思考状態はおかしいかもしれんけど。
 まあ、ちびがかなりの孝行娘だからこそ、リアルでないと言い切れるのかもしれないけども。なんか、びみょーですね。少子化に拍車かけそう。

 んで、今現在育児をしている身としては、続き買いません。
 かなり精神衛生上よろしくない。ひとつひとつの題材が「あるある」ネタなところがタチが悪いというか、暗い思考に引きずられたらたまったもんじゃないのです。

体重 

 妊娠発覚から13kgも増えてしまってたのだけど、最近やっと地味に減ってきた。
 ベスト体重まではあと4kg。頑張れ私。

 牛乳を湯水のように飲まなければ、まあまあ減ってくのだな。気のせいかと思ってたけど、やっぱり牛乳なんだな。牛乳ってカロリー高いんだな。ちぇ。
 でも逆に、毎年あれだけの夏ばてをしながらも生きながらえてわりと動けてた自分の謎は解けた気がした。

子は親を選べません・改 

 しばらく前に、旦那のミスというかうっかりというかで消されたエントリーを、今更ですが改めて書いておく。

 既に先のエントリーでさらりと触れている通り、私は「わたしがあなたを選びました」という本(というか詩)について、どちらかというと否定的な考えを持っている。その考え方自体はあっても構わないと思うのだけど、それが全体的に賞賛される風潮が不可解。

まず感じることは「重大な選択を子に担わせるなそれでも親か」。これは先のエントリーでも書いた。
 子をなすということは生物の本能であると同時に、人間の場合は親のエゴともいえる。ああ、まあこれは私の感じ方なので、何か反論したい人もいるかもしれないけど。産む自由、産む子を(ある程度)選択する自由、産まない自由。これらは基本的にすべて親側のものだ。生を与えるというのは、プレゼントであると同時に業を背負わせるのと同じだと思う。それを、ただただ受動で生まれてくる子に、「お前が選んだ」と丸投げするのは、親としての業と責任感から逃げるということになるんではないか。
 ふと思い出したのが、芥川の「河童」という短編。青空文庫で全文読めるので、興味がある方はどうぞ→「河童」 河童のお産の話が、この考え方の黒バージョンだよなあ。初読の時は、とってもぞわぞわしたものの、どうしようもなく羨ましくもあった。…話が逸れるので河童についてはこの辺で。

 育児中、私はまだ始まったばかりだから実感ないことも多いのだけど、非常に大変なこともあるんだろう。そんな中で、こういう親の責任感や業をいつも見つめながら育児をすると、思いつめてしまうこともある。人から必要とされることをエネルギーにできる人なら、子から選ばれたんだと思うことで、辛さを乗り切ったりすることも出来るだろう。そういう意味で、全否定はしない。それで辛さを回避できる心の支えになるなら大事なことだとも思う。宗教と同じといいますかね。だが、それは前提があっての話。この考え方だけでは、「子が選んだんだから今こうであるのは(親がだめなのは)子どもの責任」という間違った方向にいってしまう。例えば被虐待児に、「お前がその親、場所を選んだんだ」などと思いますか?
 もしかすると、私が考えていることは杞憂で、皆が皆、育児中の滋養強壮にこの本を求めて、ちょっとほっとしたりしてるだけなのかもしれない。そうだったらよいなとは思う。しかし、宗教のように思い込んでしまって、考えのそぐわない人間にも押し付けたりする例も見ているので、「皆が皆」はあり得なく、おかしな具合になっている人とも少なからずいるのだろう。

 この話に触れるときにいつも思い出すのは、吉野弘の「I was born」という詩。産まれるというのは受動態なんだね、という話から、生をつなぐという業を淡々と語っている。是非、知っておいて欲しい詩です。

 妊娠中は何がおきるかわからない。「ひきかえした」という表現に傷つき、親にふさわしくない、子に避けられたと傷つく人もいる。「子の都合だった、自分のせいじゃない」と自分を慰められる人もいるだろうことは否定しないが。子を望んでもできない人も傷つくだろう。前のエントリーで指摘してもらって気がついたのだけど、まがりなりにもヒトを擬人化することで、よりリアルに、逃げ道なく傷ついてしまうんではなかろうか。

 「わたしがあなたを選びました」が大好きな人には、その考え方を改めろとまではいえない。しかし、その考え方を外に向かわせることで、その無邪気な考えを、どれだけ不快に思う人がいるかは考慮していただきたい。自分の弱さは見ていて欲しい。宗教と同じだ。

 うーん、時間かけたわりにはまとまらなかった。途中宗教について脱線して、それを削除したりもしたからなあ…。前のと同じように書くにも難しい。
 ちなみに、私はこんなこと考えたりしてるから、ママ友と呼ばれるものをつくるのに積極的になれなかったりする。ああああんコワイヨー。他人様の考えと自分の毒がコワイヨー。

気付かないものだな 

 さっき、ゴミ捨てにマンションの外に出ようとしたら、共用玄関のドアのガラスが、盛大にクモの巣状に割れていた。
 共用玄関と多少離れてるとはいえ、音とか、全然気付かなかったなあ。なんであんなになってんだろ。そしていつからなんだろう。←ひきこもりすぎ

 ふと気付いたら口内炎ができていた。いたた。

もくもく 

 ちびは「炭坑節」が好きらしい。
 歌いだしたり流したりすると、ぐずぐずしていたのがしゅる~っと止まる。
 あれです、「月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三池炭鉱に月が出た」ってやつ。
 リピートかけてるとそのうち寝ます。

 どういうきっかけで歌ってみたのかは深く詮索しないでください。自分でもそのチョイスがよくわかりません。気の迷いだったのだろう。
 今更だけど、どうせならもっとハイセンスな歌か定番曲をお気に召してほしかった。外で歌いにくいよう。

 あとは、「ふたごのオオカミ大冒険」のうるらうるらり~のところも結構好きらしい。でも「炭坑節」には負けるのです。

ら抜き 

 数年前からわかってはいたけど、どうも私は「ら抜き」言葉が好きらしい。
 とても丁寧な文章を書くときには、入れないと「きちんとした印象」にならないから、仕方なく、使わなくても意味の通じる「ら」だの「れ」だのを合間に入れていく。
 なんでこんなに、ちょっと意識するくらいに好きなんだろう。おそらく、日本語の進化というのか退化というのか、変遷を見て取れるから、かな。今まさに渦中にいるぞ!というワクワク感を持つのです。昔に比べて、言葉の誤用に関する寛容さも広がったなあ。自分が間違えているとか、自分が使っている言葉だってそもそもは、ということを痛感して、「言葉は使われてこそ」という意識が強くなったせいだろうか。まあ言葉の誤用は、出来れば自分ではやりたくないけども。浸透しちゃってる言葉などは、「誤用はしない!」と決めると、その言葉を使わなくなるという微妙さはいかんともしがたい。例えば「皮肉」とか。…いや、これはもう開き直って使ってるな。「適当」って言葉も面白い。

 非常に曖昧な感覚で、意識して全部「ら」抜き、などをやっているわけではないので、我ながら統一されてなくて文章が散漫だなあとは思うのですが。あと、この「思うのですが」の「の」も、「ん」だと、次に言葉が続く感じがしたりもするよな。そういう印象差というのは面白い。この印象というやつが、どう言葉が変わっていくかのポイントなんだろうな。

手荒れ 

 半年くらいずっと、指から手首まで、見たことのない荒れ方をしていた。
 もともとアトピーではあるのだけど、手だけは誉められることもあるくらい荒れとは無縁だったので、地味にへこみ要素だった。
 妊娠してるうちは「妊娠のせいかな」と思ってたんだけど、出産してもまったくなおらず、むしろ日頃のケアなどあってなきがごとしと日に日に悪くなっていた。
 そんな折り、ふと実家の慣習を思い出して、食器洗剤を二分の一に薄めてみた。それから2週間位経ってるだろうか、どんどん指手首に改善の兆しが。

 あー…これだったのかあ…
 単なるケチ策だと思っててごめんなさい、まみー。ありがとうございます。でも理由も教えて欲しかった…

久しぶりに 

 高校時代からの友人2名がお祝い持って来てくれた。ありがとうございます。一人には、会うのは8年?9年?10年?ぶりとかそんな。
 ちびは、おおむねいい子にしてました。今回もだし、来客のときとか、ぐずったりってのが少ないなあ。ちょっと盛り上がるとびびってたようだが。かわいいかわいいいってもらえるのはやっぱり嬉しい。もっと褒めて。(?)あ、ちびをですよもちろん。
 それにしても、すっごい喋った…。むちゃくちゃ喋った。久しぶりにあれだけ喋った。三人よればなんとやら。
 懐かしい話多数。当時やってた手紙faxも持ってきてもらって、堪能させてもらいました。私の家にあるのはもうかなり少ないことが判明した。なんだあの量は。彼女らが帰宅したあとに、今まで合間縫って読ませてもらってたんだけど、いやはやもう。過去の彼女と私はどんだけ暇だったんだっつー。私相変わらず乱筆にもほどがあるとか。銀英ネタ多すぎだろう私とか…。

 途中、先日無性に食べたくなって母に頼んだお菓子が到着。かにやのケンキというもの。ご当地ものなのだけど、子どものころから好きだったやつ。いろいろ懐かしい一日でした。

 普段の生活の中だと、おなごの声と会話にすげえ飢えてるので、ほんと良い息抜きだった。下手に単身ちびと離れて出歩くよりも、ずっと気が抜けたなあ。放牧の時って、ちびが近くにいないから、なんだかんだいって家のことが気になっちゃうんだよね。

 辺鄙なところまで、ありがとうございます。お疲れでした。良かったらまた来てね。

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