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今となってはとても正しい青春だったと思う 

 当時から「なんか響きが自分に合わないよなー」と思ってた、「ぢょしこうせい」というカテゴリにいた頃、私にはたいそう嫌いな人がいた。前振りは別に全然関係ないです。冗談でも「花も恥じらう」とかいえない!という思いが突き抜けちゃっただけです。あと青春とかなにそれって感じ。だったらなんでタイトルにつけてるんでしょうね…。

 最近ではそこまで神経質にはなってないんだけど、昔は私、「嫌い」という言葉がとてもとても嫌いでして。その理由はいろいろあるけど、細かく書くと長くなるし本来書こうとしてたことを忘れそうなので置いといて。強すぎる言葉なのでそれはそれは慎重に使ってたというか、ほとんど使ってなかったんだけど、その私をもして「嫌い」といわせる人がいた。
 ひとりは、国語(現国だけだったかな?)担当だった教師。今にして思うと、「考え方が根本的に合わない」「ソリが合わない」という類ではなく、彼の授業スタイルがカンに障るという状態だったのだと思う。現国なんていったら、生徒たちの格好の睡眠の場だったりしたわけで、その人は、いかに寝かせないようにするか、いかに(テストの)点を取らすかという方に向いた授業+語り口調・教え方で、あんまり勉強はしなくても、読書量の貯金からそこそこ点の取れた私のような人間には、押し付けがましさやら「こんなんだから現国の授業は嫌いなんだよ!」といいたくなるような、そういうのの諸悪の根源だったわけだ。だから、そういう授業をするそいつが大嫌いだった。多分。

 多分というのは、今もう明確には憶えてないんだよね。何か決定的にアウトな事件があったとか、そういう話じゃなかった気がするし。まあテストの時に「こう教えたからこう書いて欲しかった」とかいわれたときはイラっとした、とかならあったけど。えーと、当時の私からぼそぼそとこんなこといわれたって、覚えてる人がいたら教えてw
 おそらく、とある名物教師ともいえるような世界史の教師がいたんだけど、その人のスタイルを真似て失敗してたんだろうなと今では思います。「なーんーで!」の人、といえば授業受けたことある人らは「ああ!w」と思い出すだろう。ちなみに私は世界史教師の名前は忘れた!(←酷い) 今となってはもう一度受けたいと思う。
 あと、現国なら某女性教師の方がだんっぜん面白かったな。…羅生門は忘れられん。

 閑話休題、もうひとり嫌いだった人間はやっぱり教師。家庭科の教師だったのだけど、こっちは決定的な理由があった気がするな。もともと好きではない人だったんだけど、確か、谷川俊太郎の詩を(私からしてみれば)ものすごいねじ曲げて語ったことだ。つうても、今果てしなくうろおぼえで検索してみたけど、原典の断片もでてこねー…。こどもたちをつくってるのはなんでしょう?パンです、バターです。みたいな詩。まあ、それをどうねじ曲げたのかまでは憶えてないんだけど、どえらくどうしようもない話にしてた気はします。多分家庭科の授業がいかに大事であるかを混ぜてねじこんで歪ませて私の怒りをかったのだろう。(追記:怒りのポイントはむしろここではなく、原典紹介だけしておけばいいものを、原典にも当たらずうろおぼえで紹介した上要約がクソ間違えており「うろおぼえですが」的フォローもなかった、ということだった。教壇に立つ人間の態度じゃないだろう。どうせ聴いてないとでも思ってたのかしらんが、おばちゃん同士の茶飲み話じゃないんだからさ。茶のみ話でもあまりにも酷かったが
 ここでもやっぱり、ねじ曲げたと感じた内容は憶えてないんだよねえw 嫌いになった根本の原因なのに。覚えてれば、今となってはまともに分析もできそうなのに。なにぶん、問題ポイントを細かく憶えてないので、ほぼ全部憶測なのよね。

 で、あと、当時の私にとてつもなく衝撃を与えた人間。悪い方に。今となっては嫌いではないしきっと会えば普通に話もできるんだけど(負の感情が継続する情熱などはない)、毎日顔を合わさなければならない状態の時はとても悪いものがたまっていました。そのうちふっきれたけども。
 なにが衝撃だったかというと、私がいろいろ消化して考えた結論を、それだけ取られるということを初めてされたのですよ。なーんの悪意もなく。彼女が何かの話題を出して(当然のごとく話題は忘れたけど)、「これはいやだよねーだめだよねー」という話をしていたので、私が「んーでもそれってああいう風に思うよ」と話したところ、「あーそうねー○○(私)さんはそう思うのか」と彼女は受け、まあそういう感じでさらりと終わったのですね。賛同を得られた気も、彼女が考えを変えた気もしなかったので、他の誰かを交えた同じ話題の時に、彼女が当然のように私の考えを口にした時にはたいそう驚いたのですよ。それはそれは、うん。初めてでしたね。「自分の考えを盗まれた」と感じたのは。
 今となっては、怒るほど、家に帰って呆然としたあと悔し泣きするほどのことだったのかなあ、とは思うのだけど。ただ、当時の私は「本を読むことしかできない出来損ないがせめて内容を消化するために、人の心の動きや現象について徹底的に考える」という状態だったので、自分の考え一つ一つはつぎはぎでも、それを選んだ自分、私に選ばせた作家になけなしだけどとんでもなく高いプライドがあったわけで、それがたいそう傷つけられた、んだろうなあ。まるでなかったことにされた!みたいに。ちゃんとは憶えてないけど。…怒りが大きすぎたのと、私自身が未熟だったのでちゃんと分析できてないまま忘却の彼方なのだわな。
 お陰様で、「善人というのは時にそれだけで罪悪だ」みたいな感覚は強くなりましたが。この場合の善人って「自分を善良と思ってる人」のことね。

 で、これだけマイナスの思い出をだらだら書いてなにがいいたかったの?といえば、「あれだけ強い嫌悪感でも忘れられるんだなあ」ということ。ま、これだけ時間が経てば当たり前だろうとは思うのだけど、当時の私は自分の嫌悪感に自家中毒起こしてたから(今でも同レベルの嫌悪感感じたら起こすだろうけど)、そんな自分にいってやりたいのですな。まーいったところで、素直に「そですか、時が経つのを待ちます」「安心しました」とかいえる人間ではなかったが。そんな思い出話でした。嫌いだったこと自体を忘れないうちに書いておきたくなった。

 あとついでに、「自分」も大嫌いでしたが、これはまあ、完璧に自己愛に裏打ちされたものなので、除外しといた。この辺がいかに緩和されたかとかも、随分気にかけてもらってたようなので書きたいけど、多分頭がまわらないうちに書いてしまうと違うものになってしまうので、ずっと先にでも機会があれば。

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