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子は親を選べません・改 

 しばらく前に、旦那のミスというかうっかりというかで消されたエントリーを、今更ですが改めて書いておく。

 既に先のエントリーでさらりと触れている通り、私は「わたしがあなたを選びました」という本(というか詩)について、どちらかというと否定的な考えを持っている。その考え方自体はあっても構わないと思うのだけど、それが全体的に賞賛される風潮が不可解。

まず感じることは「重大な選択を子に担わせるなそれでも親か」。これは先のエントリーでも書いた。
 子をなすということは生物の本能であると同時に、人間の場合は親のエゴともいえる。ああ、まあこれは私の感じ方なので、何か反論したい人もいるかもしれないけど。産む自由、産む子を(ある程度)選択する自由、産まない自由。これらは基本的にすべて親側のものだ。生を与えるというのは、プレゼントであると同時に業を背負わせるのと同じだと思う。それを、ただただ受動で生まれてくる子に、「お前が選んだ」と丸投げするのは、親としての業と責任感から逃げるということになるんではないか。
 ふと思い出したのが、芥川の「河童」という短編。青空文庫で全文読めるので、興味がある方はどうぞ→「河童」 河童のお産の話が、この考え方の黒バージョンだよなあ。初読の時は、とってもぞわぞわしたものの、どうしようもなく羨ましくもあった。…話が逸れるので河童についてはこの辺で。

 育児中、私はまだ始まったばかりだから実感ないことも多いのだけど、非常に大変なこともあるんだろう。そんな中で、こういう親の責任感や業をいつも見つめながら育児をすると、思いつめてしまうこともある。人から必要とされることをエネルギーにできる人なら、子から選ばれたんだと思うことで、辛さを乗り切ったりすることも出来るだろう。そういう意味で、全否定はしない。それで辛さを回避できる心の支えになるなら大事なことだとも思う。宗教と同じといいますかね。だが、それは前提があっての話。この考え方だけでは、「子が選んだんだから今こうであるのは(親がだめなのは)子どもの責任」という間違った方向にいってしまう。例えば被虐待児に、「お前がその親、場所を選んだんだ」などと思いますか?
 もしかすると、私が考えていることは杞憂で、皆が皆、育児中の滋養強壮にこの本を求めて、ちょっとほっとしたりしてるだけなのかもしれない。そうだったらよいなとは思う。しかし、宗教のように思い込んでしまって、考えのそぐわない人間にも押し付けたりする例も見ているので、「皆が皆」はあり得なく、おかしな具合になっている人とも少なからずいるのだろう。

 この話に触れるときにいつも思い出すのは、吉野弘の「I was born」という詩。産まれるというのは受動態なんだね、という話から、生をつなぐという業を淡々と語っている。是非、知っておいて欲しい詩です。

 妊娠中は何がおきるかわからない。「ひきかえした」という表現に傷つき、親にふさわしくない、子に避けられたと傷つく人もいる。「子の都合だった、自分のせいじゃない」と自分を慰められる人もいるだろうことは否定しないが。子を望んでもできない人も傷つくだろう。前のエントリーで指摘してもらって気がついたのだけど、まがりなりにもヒトを擬人化することで、よりリアルに、逃げ道なく傷ついてしまうんではなかろうか。

 「わたしがあなたを選びました」が大好きな人には、その考え方を改めろとまではいえない。しかし、その考え方を外に向かわせることで、その無邪気な考えを、どれだけ不快に思う人がいるかは考慮していただきたい。自分の弱さは見ていて欲しい。宗教と同じだ。

 うーん、時間かけたわりにはまとまらなかった。途中宗教について脱線して、それを削除したりもしたからなあ…。前のと同じように書くにも難しい。
 ちなみに、私はこんなこと考えたりしてるから、ママ友と呼ばれるものをつくるのに積極的になれなかったりする。ああああんコワイヨー。他人様の考えと自分の毒がコワイヨー。

コメント

毒が出てると聞いて駆けつけました。
冗談は置いといて、一番最後の方のママ友うんぬんだけにレス、自分を犠牲にしてでも子どもの為にがんば。
公園デビューから人生の勝負がはじまるのです・・・!

物凄い端折って言うと、
親は子に生を与えると同時に死を与える。なので、「産む」と「殺す」は同じ事。
その罪を償わなければならない。逆に子は親に作られた所有物で、親に対し、背反してはならない。
この天秤の関係が親子関係のベースにあるというのが持論。でも、一度たりとも賛成してもらったことはない。

>ゆんちゃん
いや公園デビューにははやいw
親族は逃げようがないから「私が我慢しないとこの子に影響が」というのはそれなりにあるけど(特に両親のイナカ関係)、無難な人付き合い程度じゃだめかねえ。
それとも無難な人付き合い程度が「ママ友」なんだろうか。温度もよくわからない。

>HARA
出たよ極論。
親は子の所有物であるなんて、片鱗でも子に見せたらそれはそれは素直に子は歪んでいくと思うよ。
絶対者であることと所有物と見ていることは違うだろう。

「改」ありがとうございマス!!

被虐待児や機能不全家族に生まれた子に対して「お前がこの親、場所を選んだ」って言う人、残念ながら存在します。
ハラスメントについてあれこれ調べてた時期に、そんなようなこと書いてるブログをいくつか見つけたし(スピリチュアルな話と結び付けてた)、リアルな知り合いから聞いたこともある。
詳しくはまたメッセージでもしますです。

宗教についてのあれこれも聞いてみたいなあ。

まーじーかー!!!
正直いってむちゃくちゃ気持ち悪いわ。<残念な存在 ほんとうにいたのかそんな人種。
前世が悪かったとかいうアレかしらね。
他人事であっても、不幸に何かしら当人の原因(というか、手落ちというか?)を求めるっていう心理はあるのは一応知ってるけど、赤子相手までそういう話展開できるなんて、ちょっと無理。
当事者がそういう考えを持ってるのは「人憎むより楽だもんね」と思うけど。宗教人がいやなのはこういうところだな…。
宗教関係なくても、いるけどね。

うーん、宗教に関してはまとめて何か書こうとすると、えらい長くなるだろうからなあ。ほら、酒の席で政治と宗教の話はするなっていうじゃないw(の割にはオブラートに包まず表現してるけど)
私にとっては良くも悪くも「心のスキマ産業」でしかないけど(あ、でも自分はものすっごい薄い神道+仏教なんだと思う)、たまに羨ましくなるわー。あの厚顔っぷりが。
メッセージ期待中!

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